学校の様子 7月1日(水)
【学校掲示板】
7月になりました。
昨日とは打って変わって,よい天気です
学校掲示板の内容を7月のものに更新しました。
今月掲示板で紹介する言葉は『田布川郷土史』からです。
「漸くにして敵機は去りたれども火炎は消えやらず
枕崎は殆ど全滅に瀕したり。」
昭和20年7月29日,枕崎は市街地の九割が焼失するほど
の空襲を受けました。
枕崎の郷土史等によりますと,以下のような記録があります。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
枕崎の初めての戦災は昭和20年4月27日。
B29が宝寿庵方面から侵入し、岩崎通山方面に爆弾9個を投下。
死者5名、負傷者6名が出た。それまで通山は盆地なので安全だと思われており、
荷物を預かることが多かったがあわてて他の地域へ移動させた。
そして7月29日の空襲では,その日だけで,家屋消失2315戸, 死者38人
(全体では69人),重傷者27人。
負傷者の多くは焼け残った園田病院へ運ばれたが、一部は軍の担架で桜山小学校裏
壕内に運び込まれた。
町役場も一部破壊されて危険であったため、桜山校の壕に移転して執務した。
さらに9月17日に枕崎台風が襲来し,枕崎市は壊滅的な打撃を受けた。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
今,平和な時代を生きていることのありがたさ,命の大切さについて,
今後も生徒たちとともに考えていきたいと思います。